ようやく、同じ出来事に関する記事が満を持して2回目ですので、
去年の記事はこちら
今年は、カウンターパートが実家に誘ってくれました。
家族構成は、ご両親と、お兄さん家族。お兄さんは結婚式をしたのは去年の10月ですが、2012年にすでに入籍していて、現在、2人のお子さん、2歳のお兄ちゃんと8か月の妹ちゃんがいます。
大みそかの21時にウランバートルを出発し、日にちをまたいでからご実家につきました。
大みそかは新月だったので期待していた通りに星がキレイ!
冬の天の川がはっきり見えました。流れ星も見えました。
モンゴルに来るまで流れ星は、願い事を唱えるものだと思っていました。
そして、わたしは流れ星が大好きです。小学生の時に、学校の校庭に夜中集まって、しし座流星群を眺めた時の感動を忘れられません。
一方モンゴルでは、流れ星はあまり喜ばれないようです。
星を眺めた際、「自分の星」を決めるそうです。
流れ星は、「自分の星が流れた=死」を連想するらしく、縁起が良くないようです。
流れ星を見てしまったときは「自分の星じゃない!天の星!」と叫ぶそうです。
写真は三脚がないため、ブレてしまいました。
オリオン座がかすかにわかります。
カウンターパートと旦那さんはご両親のゲルへ。
わたしはお兄さんのゲルで、2つしかないベッドの1つをお借りして寝かせていただきました。
今年の初日の出
家族でそろって伝統衣装に身を包み、あいさつ。
「サラシンデーサイハンシネレスノー(月が新しくなって、よいお年を迎えましたか)」
「シンジルタニービーサイノー(新年ご機嫌いかがですか)」
「サイハンハワルジジバイノー(新春いかがでしょうか)」
写真はお父さんとお兄さんがお互いの嗅ぎたばこを交換してあいさつしているところです。
お兄さんの家には2人の子どもがいると聞いていたのですが、3人いました。
どうも、見聞きしていると、一番上のお兄ちゃんに対しては明らかに対応が違う。
呼び方も、あだ名。ほかの子はフルネーム。
お兄ちゃんも、お兄さん夫婦のことを「お兄さん、お姉さん」と呼んでいました。
よくよく聞いたら、この男の子は競馬の選手で、丁稚奉公をしている、住み込みの弟子のような存在なのでした。
わたしは、はじめ彼の若さと、しつけられた大人っぽさに同情していて
「なんだこれは!こんな小さい子が、働いているなんて!」といぶかしんでいました。
いろいろな話を教えてくれて、
上の星の話とか、2年前に来たOTの日本人前任者の方と兄弟みたいだね、とか。
星を見ながら、お互い野外トイレで用を足しながら「僕は大きくなったら日本語を勉強するよ」と言ってくれました。
日本に興味を持ってくれて、よく見たら着ているTシャツはNARUTO。
彼に恥じないような、日本人の自覚を持った行動をしなくては、時が引き締まりました。
事あるごとに、彼は家族から責められ、かわいそうに思いながらも、
「そんなもんなのかしら」と、
不器用な彼にちょっと冷たくしてしまいました。
途中で、彼のおばあちゃんのおうちで、お母さんが不在だったということで弟さんも加わりました。
この弟がまた一段と生意気にして、かなりの意地っ張りにした感じの子で、
何回も叱られてしまいました。
弟が来た日の夜、ゲルの中では彼のすすり泣く声と、ひそひそ話す兄嫁の声が聞こえました。
次の日から、家族と息子さんは一層仲良くなったように見えて
というか、わたしが、この子と家族の結びつきや絆を浅く考えてしまっていたと思います。
もともと、彼らは家族の一員として迎えられていたのです。
だから本気で叱るし、泣いたらちゃんと慰めるんだと思いました。
そして、「こんなに立派に生活している彼は、将来絶対大物になるだろう。同情なんかして悪かったな」という気持ちになりました。
田舎を出る前日、彼らと折り紙をしました。
さすがお兄ちゃんはちゃきちゃきと本を見ながら自己流にやっては、私が直して、という感じで折上げました。
鶴と、ウサギもプレゼント。
反対に面白い変わった折り紙を、お嫁さんから教えてもらいました。
やっこの服→靴→ズボン→船→2双船→箱と変化する折り方。
さて、モンゴルの旧正月はたくさんのおうちを行き来して、
プレゼントを交換し合うと聞いておりました。
まずスーテイツァイを飲み、(写真のように、ベッドの上に置くのは、マナー違反ですのでご注意を。)
サラダを食べ、ワインやアイラグを飲み、強いウォッカを飲み、ボーズを食べ、またお酒を飲む。チョコレートやドライフルーツなども挟みつつ。
ご飯は大変おいしかったです。
家庭の味がありますたが、私はコショウ入りのボーズが気に入りました。美味しかったです。
羊肉の蒸したものも、柔らかくて美味しかったです。
サラダは、リンゴとドライフルーツをマヨネーズで合えた不思議なスイーツのようなものと、内臓(センマイ?)と、ピクルスとマヨネーズ和えのサラダがよく出ていました。
ウランバートルでは、いつもハムとキュウリのサラダが出ますが、ところにより、ハムではなく茹で肉とピクルスで作られていて、これがまたとてもおいしかったです。
貴重な、ホールモグというラクダの乳飲料もいただきました。おいしかった。
あいさつも2、3日過ぎると大人たちはカードゲームに興じたりしていました。
わたしは子どもたちに混ぜてもらって、羊の足首の骨で、双六のようなゲームや32点になるまでサイコロのように4つの骨をふるゲームをして遊んだりしました。
お土産も、こんなにたくさん。
お金も合計26000トゥグルグいただいてしまいました。
何に使おうか、まだ考え中です。
田舎のツァガーンサルはどうだ、と17件の回ったおうちで毎回聞かれました。
「素晴らしいよ。空気は美味しいし、いいところだね。」
そう伝えると、満足そうにうなづいてくれるカウンターパート。
旦那さんは「日本人は高いお金を払ってこういう旅行をするのに、ゆきはタダなんだぜ」と言ってましたがその通りです。
両親が持ってきたお土産を少々携えて参りましたが、全然お返しになりません。
日本に、彼らが来た折には、ぜひわたしの祖父母の秋田の田舎にも連れていきたいと思いました。
モリモリ書いてしまって読みにくくてすみません。読んでくれてありがとうございました。