一昨年は20枚近くの年賀状をモンゴルから送りましたが
去年は、11月に父の兄を亡くしたため、喪に服して控えさせていただきました。
彼の訃報を聞く数日前、不思議なことに、わたしは叔父と叔母のことを考えていました。
実家からは200㎞ほど遠くに住む叔父家族に、帰ったら会いにいこう、と思っていました。
父方の祖父母のことを、中高生で亡くしました。
自分のルーツであるにもかかわらず、生まれる前から別々に住む、父の両親のことを全然知らずに失ってしまったことを悔やんでおりました。
父の幼少から知る家族はもう、父の兄しかいませんでした。
「おじさんのことも、もっと知りたいな」と考えていた矢先のことでした。
叔父は、たばこが好きな、声の大きな人でした。
恰幅が良くて、顔にたくさんのほくろがありました。
笑い声がいつも豪快で、お酒に酔っては膝に私をのせてたいへんかわいがってくれたことを思い出します。
叔父さんは、息子さんたちのこともたいへん可愛がっていました。
4人兄弟はとても仲良しで、遊びが上手でなんでも遊びにしていて、活発で、
祖父母のおうちや、叔父のおうち遊びに行ったときはいつも遊んでくれました。
わたしはうちの父はたいへん変わり者だと思っておりますが、
叔父はおおらかで、楽しそうな人だけれど、なんだか勢いがすごくてちょっと怖いなあと思っていました。
叔父は私が小学校に上がるときに、自分で選んだ立派なキキララの机を買ってくれました。
大きくて立派な机は大学生までしっかり使っていたのですが、残念なことに2011年の大震災の折にガソリン不足の東北から運び出すことができず処分してしまいました。
時々、ぽっかりと切なく、ふと線香のにおいを思い出します。
日本に帰ったら、叔父さんにご挨拶にいきたいと思います。
そんなわけで、モンゴルの新年は思う存分楽しんでおきながら、年賀状のみ喪に服すというのも我ながら勝手だなと思いつつ、年賀状は出しませんでした。
モンゴルへ送っていただいた方もいて、大変うれしく思っております。
ありがとうございました。
本日、中央郵便局、トゥブショーダン(Төв шуудан)で寒中見舞いを送りましたら素敵な切手を貼ってくださいました。
ハガキはロシアのものなんですが、、ロシアとモンゴルのコラボレーションはがきが、無事に日本に届きますように。