読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

モンゴルで理学療法士

青年海外協力隊として2014年10月~2016年10月、モンゴルに派遣。その記録です。

仕事を辞めて青年海外協力隊へ

ネパールのことを書き終えて、大分満足していました。

 前回までに青年海外協力隊に興味を持ったきっかけから、

協力隊という夢を持ち続けるきっかけになった出来事まで振り返りました。

 

さて、その後わたしは就職したのですが、社会人となってみて、企業や上司の方針と異なる夢を持ち続けることは簡単ではありませんでした。

 

今回は青年海外協力隊にいくことを見据えた就職~青年海外協力隊に応募しようと踏み切った出来事について書きたいと思います。

 

まず、理学療法士として青年海外協力隊に行くためには、まず2~5年の臨床経験が求められます。

応募要請内容は急性期病院や小児リハビリテーション、障がい者施設、職業訓練所、NGOなど地域や、場所によって様々です。

 

わたしは就職先を決めるにあたり、元協力隊OVの先生からアドバイスを頂きました。

当時は急性期病院の応募や小児リハの応募が多かったようです。

・小児のリハビリテーションを実施している病院、施設の就職先が少ないこと。

・わたしの大学時代の実習地が8割以上、急性期の総合病院だったこと。

を考慮し地元の神奈川県の急性期病院を見学しまくり、

上司と意気投合した、地元の隣の市の急性期医療を担う総合病院に就職させて頂きました。

 

この病院では、内部障害(心臓疾患、呼吸器疾患、腎臓疾患、消化器疾患など)

脳血管疾患(腫瘍、脳出血、脳こうそく、くも膜下出血、頭部外など)、

整形外科疾患(人工関節置換術、腰部疾患の各種手術後、骨折、靭帯損傷など)

の三部門に分かれてチームでリハビリテーションを行っていました。

1年目はすべてをローテーション、その後も内部障害班→脳下班→内部障害班→呼吸班へとローテーションさせて頂きました。

 

先輩方の教育がとても熱心でした。

病院も若い職員が多く、すごく勢いがあって楽しい職場でした。

新人歓迎会、納涼会、職員旅行、運動会、忘年会、新年会、他

イベントも盛りだくさんで、みんなが団結した雰囲気でした。

 f:id:yuki12-99:20150125003149j:plain

社員旅行の、黒部ダムです。(2011年9月)

 

就職した当初、理学療法士に対するあこがれは正直全くもっていなくて、

青年海外協力隊に応募するまでの3年間をどうやって働いていくかを考えようと思っていました。

しかし、上司をはじめ、熱い先輩や同期に囲まれて、本当に恵まれた職場に来たと感動しました。ご自身の仕事だけではなく、後輩指導や学会発表、県理学療法士会のお仕事など、熱心に取り組まれていて尊敬する方々でした。

特に、理学療法士は総勢13名のうち、女性の先輩方が4名いらっしゃいました。

みなさん小さなお子さんがいたり、

結婚を控えていらっしゃったり、プライベートも充実されていてむちゃくちゃ輝いていました。

わたしもいつか結婚して働きながら子どもを育てるのかしらと、人生について考えるきっかけとなりました。

 

3年間、片隅に青年海外協力隊のことを考えつつも

仕事に勉強に、プライベートにその時々を楽しんでいました。

仕事が遅い、細かいところで失敗が多い、患者さんともうまくいかない

治療も自信がなくて、いつも同期や先輩や上司や友達に助けて頂きました。

いつも目の前のことで悩んで精一杯でした。

f:id:yuki12-99:20150125002512j:plain

患者さんへ運動内容の用紙の材料で撮った写真です。

 

でも、2年目には冬のボーナスをすべて使ってAEONで英語を習って、一応自分の中では準備をしていました。

 

3年目、このまま働き続けるか、青年海外協力隊に応募するのか悩みました。

このまま働く=結婚して、子どもを産み、働きながら勤める。

協力隊に行く=婚期逃す

と思っていました。

 

3年目となった2013年はずっと悩んでいました。9月ころ、友達の母や自分の母、その他いろーんな友人に相談したこと、

2013年の10月グローバルフェスタ2013で出会ったリハネットの理学療法士のOV、

リハネットのボランティアで出会った、作業療法士のOV、

みなさんに言われました。

 

「協力隊に行って後悔はない」「失うなうものは何もない」

「子どもは30歳以降でも産める」「産もうにも、相手もいないんだし、焦ってもしょうがない」

 

2013年の10月、家で先日のわたしがネパールのことを書いたリハネットの記事を、偶然発見しました。

そこに、わたしが理学療法士になったきっかけの女性かもしれない方の記事がありました。

 

わたしに理学療法士を勧めてくださった方は、看護師専門学校ではたらく母の職場の文化祭で

理学療法士という仕事を紹介していたときお会いしました。

当時、中学2年生だったわたしに、

「この仕事は本当にいい仕事よ」「わたしは一生この仕事を続けていきたいの」

「もうすぐ、神奈川県に新しい学校ができるからそこに通ったらいいよ」と教えてくださいました。

 

この方にあこがれて、理学療法士になろうと決めました。

 

この方がかつての青年海外協力隊の理学療法士の技術顧問であった可能性があったのです。

しかも、初代の技術顧問であり、世界理学療法連盟で表彰されたという記事でした。

 

この方と、青年海外協力隊とがつながっているかもしれないと分かったとき

「これはもう、行けというお告げ」と思い込みました。

2013年の11月5日

秋募集の締切日に郵便局に駆け込み、青年海外協力隊に応募しました。

 

悩みは尽きませんが、人生は一度きり。

自分が運命的だと思えるような出来事もあるもんだと感心しながら

勢いに乗っかっていったら

今モンゴルに至っています。

 

勢いゆえに、前職場には報告が遅れてしまい大変な迷惑をかけてしまいました。

恩返しができるように今後も誠実に理学療法士として働いていこうと思っております。