モンゴルで理学療法士

青年海外協力隊として2014年10月~2016年10月、モンゴルに派遣。その記録です。

2011年ネパールの旅⑧

8日目

 

いよいよ、最終日です。

 

最終日は、朝からカトマンズを出発。

バスを乗り継いで、バクタプルという町へ出かけました。

 

この旅三人目の理学療法士、Kさんに会うためです。

 

活動場所は、バクタプルCBR。

活動内容は、地域で障害のあるお子さんを日中預かること、そのお手伝いと

同僚へのリハビリテーションの指導でした。

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伺ったとき、KさんがバクタプルCBRで活動し始めて8か月くらい過ぎたころだったと思います。

活動期間は全部で2年間。半年を過ぎて、ようやく活動らしくなってきたと話してくださいました。

 

この施設は、職員ほか、各国から短期でのボランティアがたくさんきます。

ヨーロッパアなどからも、支援があり「支援慣れ」「ボランティア慣れ」との言葉が聞かれました。

 

「ボランティアがやってくれるから」

ということで、職員が働かない。

つまり、指導しようにも、指導される方にその気がない。

 

子どもへの対応が雑だったり、トイレは寝たままで排泄していたり、問題がいっぱいだったそうです。

そんな中で、まずは、自分が整理整頓やレクリエーションや、子供のお世話などなどすべての業務を積極的に関わり、

要所要所でちょっとずつトイレ介助の方法などについて指導をしていったそうです。

ようやく同僚たちにも変化が見え始めて、食事の後のみんなでトイレに座って用を足すトイレタイムとかが作られたそうです。

活動を始めて半年を過ぎてからのことだったと教えてくださいました。

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写真はトイレたち。

 

人を動かすには時間がかかる。一筋縄じゃいかないし、口で言ってるだけだって変わらない。

2年間かけてその間にどうやっていくのか、自分なりに考えることが大切だと学びました。

 

その後、Kさんのところを道端ジェシカさんがレポートしていました↓↓

 

道端ジェシカさんのネパール訪問 | なんとかしなきゃ!プロジェクト 見過ごせない−55億人

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大学の先生が作ったと言っていた「バードチェア」他、当時は使われていない支援物品がたくさんありました。

 

その後、カトマンズに戻りYさんと最後の夕食。

お友達のバイクにバックパックでまたがり、空港まで送っていただきました。

 

素晴らしい旅をしました。

 

地震の後、まだ地震の被害も見ない、体験もしていないわたしに

「日本人」というだけで温かい言葉をかけてくださったネパールの人、トランジットの香港の人がいました。

 

日本を離れて働き不安を感じる日本人の青年海外協力隊の方々。

 

そんな中、何泊もお世話になり、貴重な日本食を食べさして下さったYさん。

東日本大震災への寄付金をわたしに預けてくださいました。

帰国後、赤十字社に振り込みました。

 

なんで、Yさんがネパールを選んだか。

それは、ネパールが日本からも近いアジアの国であり、帰国後も支援を続けられると思ったから、とのことでした。

青年協力隊に行ったら、そこでわたしの夢は一つ叶います。

しかし、そこで得たものを、帰国してからも生かしていこうと考えて行動する先輩の姿勢に感動しました。

 

今回の旅はスタディーツアーだったと言っていいと思います。

それまでの人生で一番考えて、学んで吸収しました。

協力隊について活動のことがってもよくわかったし、自分の課題もわかりました。

新たな希望を感じました。

本当に、関わっていただいた皆様に感謝申し上げます。