モンゴルで理学療法士

青年海外協力隊として2014年10月~2016年10月、モンゴルに派遣。その記録です。

2011年ネパールの旅③

ネパール③日目

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カトマンズの街並み。

 

 

この日は朝から、ビル病院を見学。

日本から医師の団体が来て、一緒に見学させていただきました。

ノコノコと、病院の偉い方々にもごあいさつさせていただきました。

 

集中治療室(ICU)とか、ゴミの分別について主に見せて頂きました。

以前は公衆衛生の認識が乏しく、針刺し事故などによる感染の拡大などもあったようです。

衛生的にゴミの分別が行われていなかったところを、

看護師のJOCVの方(Tさん)が介入したことで整理整頓や針の処理方法などが徹底されたそうです。

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ICUのカート。Tさんが色分けなどして整えたそうです。

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先の2日目の写真のごみ収集場のようになっていた中庭に、ゴミを一括処理する場所が設けられていました。

 

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この後、日本からのお客様と、ボランティアのみなさんと中華料理のお昼ごはんを食べにいきました。

この最中、少し地面が揺れました。

 

地震です。ちょっと体感する程度でした。

 

「ネパールでクライストチャーチくらいの地震があったらどれくらいの建物が壊れるやら、、」

なんて冗談を言っていました。

 

ところが、、

 

病院へ戻ったあと、JOCVのお二人、シニアボランティアさんの携帯にJICAから

「日本で地震があった」との連絡。

 

テレビをつけると、NHKの映像。

大きな津波が、街を飲み込む。

え?いつ?これが日本???ジオラマか???

 

しばし混乱。

 

夕方Yさんと、JOCVのための宿泊施設「連絡所」へ行って、インターネットを借りることに。

 

実家にメールを送り、様子を見ることになりました。

わたしはまだ5日間はネパールにいる予定ですし、チケットは安いものだったので簡単に日程の変更などできませんでした。

津波も地震の規模も、詳細な情報はなく、ただ不安な状態でした。

 

奇しくも、看護師のTさんは任期満了のため、帰国が数日後に迫っていました。

しかも、ご自宅は福島県。私よりも不安な気持ちでいっぱいだったと思います。

 

この日は、夜、ネパールJICA事務所の次長さんのおうちにお呼ばれするとのことで、ちゃっかり同行させていただき

貴重な日本食をガッツリ頂きました。

ちらしずしとかあって、むちゃくちゃ豪華でした。

次長さんだけに、おうちもすごかったです。

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お土産に頂いた、ロールケーキ。イチゴ味でふわふわで美味しかったです。

 

帰国を控えたTさんが、

日本で10年近くICUに勤めて「これでいっぱい途上国に貢献できる!」

と思って勇んでやってきたのに、

当時ネパールが求めていた医療水準はもっと低いものだったのでガッカリしたそうです。

 

理学療法士と同様、公務員でどんな働きであっても職が安定しているからか

看護師さんも全然働いてくれなかったとのことでした。

 

「初めは人に教えようと思ってきたからとてもガッカリした。けれど、自分が学びに来させてもらったと思うようになったらとても楽になった」

と振り返っていたのが印象的でした。

 

このお話を聞いて、わたしも、自分が学びに行く姿勢を常に持ち続けようと決めました。

 

あと、もうひとつ学びました。

 

日本での経験は、必ずしも青年海外協力隊の求めるものと一致するわけではない。

経験があれば貢献できるという保証はない。

逆に経験が多少乏しくても、なにかしら貢献できることはある。

ということ。