モンゴルで理学療法士

青年海外協力隊として2014年10月~2016年10月、モンゴルに派遣。その記録です。

モンゴルはどう?

Монгол ямар бэ.

「モンゴルの生活はどう?」

 

これは、モンゴルにいる間に幾度となく聞かれました。

下手すると、1日に10回近く聞かれたのではないかと。。

 

初めて会うモンゴル人は、あいさつの次にこれを聞いて来る、というのが

隊員の中でもウワサされていました。

 

でも、未だにこの質問にうまく答えられているのかわかりません。

 

モンゴル語で聞かれた時、あまり話せないうちは

”Гоё(ゴイ:すばらしい、かっこいい、ステキ)”と答えていました。

 

ちょっと話せるようになってからは

”Байгаль таалж байна(バイガリ タールジ バエン)”

「自然が気に入っている」とか、田舎の景色がいい、と答えるようになりました。

 

自然は本当に素晴らしいです。

 

でも、一人で大自然を観に行ってもさみしいだけなのです。

実際、一人で大自然を観に行く機会はありませんでした。

 

同僚に連れて行ってもらった、家族のうちで過ごした何日間が本当に素晴らしかったです。

家族が来た時に見た田舎も、

友達といった田舎も、

馬を乗りに行った郊外も、広大な景色が本当に素晴らしかったです。

 

モンゴルの生活がどうだったか。

 

モンゴル人の同僚や患者さんを通してお知り合いになった人たちや、

日本人ボランティアやJICAの職員のボランティアのサポートをしてくださる皆さんが

いつも一緒にいてくれました。

 

日本から、家族や友人が遊びに来てくれました。

 

本当にいろんな人たちに支えられて生活して、

いいところだけ見てて生活できました。

 

仕事にも、そこそこの充実感を得ました。

自分がやった仕事なんです、と言えることがありました。

でも、継続されているのかは自信がありませんし、自分自身の勉強不足を痛感して

もっとできたことがあると思います。

 

今後も貢献できたらいいなあと思っています。

モンゴル理学療法士協会について

さて、過去を振り返って記事を書きます。

 

2016年2月号の「JPTA NEWS」に、

先輩理学療法士隊員が書いた記事が掲載されました。

(理学療法士協会に所属されている人全員に配られる雑誌です。

学術誌である理学療法学とともに発送されます。

日本理学療法士協会から偶数月に発行されています。)

 

内容は、

モンゴルの理学療法士の歴史

モンゴル理学療法士の現状

モンゴルの理学療法士協会

医療制度とリハビリテーション科の体制

これからのモンゴル理学療法士界、となっていました。

 

この記事が載った当時、モンゴルの理学療法士養成校は

Mongolian National University of Medical Sciences(:MNUMS)のみでした。

www.mnums.edu.mn

この学校は群馬大学大学院保健学研究科が学部間交流協定を締結し、

2007年から支援のもとに教育が開始されたそうです。

現在、理学療法士の卒業生は6期生まで出ました。

モンゴル全体の理学療法士の数は100名を超えています。

 

昨年9月から、サインシャンダの分校と、ウランバートルの私立大学の計3か所で養成しているようです。

しかし、質の維持のために課題が残っているとのことでした。

養成校の増加は理学療法士の重要性がモンゴル国内で認識されているということだと思います。

 

MNUMSを中心としたモンゴル理学療法士協会は2014年にWCPTへ加盟しました。

ワールドワイドなモンゴル理学療法士協会が、モンゴルの理学療法士たちを先導しています。

あけましておめでとうございます

Шинэ оны мэнд хүргэе.

 

 

あけましておめでとうございます。

ずいぶん経ってしまいました。

 

 

JOCVが修了し早3か月経ってしまいました。

 

近況報告です。

 

今も実家でフリーターをしています。

理学療法士の短期アルバイト、というのが見つからず、

もっぱら派遣されたレストランでウエイトレスをしています。

 

あとは、全国を津々浦々回りました。

大学の友人と山陰旅行。

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岡山県では二本松で一緒に生活したJOCV仲間のところに泊めてもらいました。

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朝ごはん、うますぎる。朝起きたらだしの香り、、幸せでした。

モロッコ帰りの彼女のおうちは、素敵な雑貨などなどに溢れていました!

 

そのあと、モンゴル同期の理学療法士隊員のご実家にも泊めてもらって、

お仕事見学させていただきました。

京都の紅葉もきれいでした。

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モンゴル理学療法士隊員で集合したりしました。

そんなこんなで、日本を満喫しております。

 

 

この3か月間、いえ、帰る前から

ずっと自分はなんでモンゴルに行ったのか、

モンゴルで何をしてこれたのか、

残せたものはあるのか、考えてみますが全く言葉になりません。

そういうことを、どう日本で伝えていくのか考えて行動していた方がいいとは思っているのですが、

終わりが近づくと、目の前のことで精一杯でだめでした。 

 

結果、こうしてこのブログも尻切れトンボになっています。

 

あと1か月で、モンゴルの新年が明けますので、

そこまでに、帰国前の仕事などまとめていこうと思います。

カラオケ

わたしはカラオケが大好きです。

 

モンゴルの人たちも、長い冬を越すのに、よくカラオケに行っています。

夏でも行っています。

何度も連れて行ってもらいました。

 

カラオケで歌いたい唄を載せておきます。

日本のカラオケ屋さんでモンゴルの歌を歌えるところってあるんでしょうかね?

 

モンゴルのカラオケ屋さんは、日本の歌が歌えるところもたくさんあります。

韓国の歌、英語の歌、モンゴル語の歌、日本の歌を揃えています。

日本のカラオケよりは最新の歌が少なかったり、アーティストの数は少ないですけれどもね。

 

家族のうた(歌手:男性)

www.youtube.com

 

 

「ソドラ」という映画の歌(歌手:女性)バラードです。


LYRICS! Очгэрэл - Хайр (Содура OST) / Ochgerel - Hair (Sodura OST)

 

これも、重い歌。

「初恋」という歌。カラオケで唯一、歌ったことあります。歌手は女性。

www.youtube.com

 

 

日本の歌で、一番有名なものはコレ。

www.youtube.com

「出し物をしなさい」と言われたら、

迷わずこの歌を歌えば間違いありません。

 

帰国1か月前に、OTさんが職場で歌っているのを聞いて、

初めてこの事実に気づきました。

唄でモンゴル人の心をつかんでおりました。

もっと早く知りたかった事実です。

彼女のおうち

 

yuki12-99.hatenablog.com

上の記事で出会った彼女について、

4回目に会ったときは、三地区でご飯をたべました。

 

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韓国料理ですが、「トンカス」という名前の、トンカツを出してくれるお店です。

あいにく、トンカツはなかったので、チキンの甘辛揚げを食べました。

「これは、日本料理?」と彼女。

「うーん、日本料理にもこういうのあるよ」と答える私。

 

今回は、韓国料理やさんで日本食風のものが食べられるので、ここに連れて行ったのです。

 

最近モンゴルでは韓国料理屋さんがトンカツも、カレーも、出したりしています。

わたしは、あれのルーツは日本食なんじゃないかと思っていますが、

モンゴルの人は韓国料理だと思っています。

そのたびに弱めに否定しています。

 

ご飯のあと、「うちくる!?」という彼女。

「良ければ泊まっていきなよ。わたしは明日田舎に行くから、7時に家を出るけど。」とのこと。

彼女の家の場所を聞くと、7時に一緒に出ればわたしの出勤にも余裕です。

途中のスーパーでお菓子とか、ジュース、パンなど買い込んでお邪魔しました。

 

お家は、うちよりも都心に近くて、親戚と4人で住んでいました。

窓からの景色も、都会。

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夕食食べて帰ったけど、ご家族の夕食の茹で肉を切って食べなさいと言ってくれます。

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ジュース飲んで、またおしゃべりして、夜は更けていきました。

彼女のお仕事観は、ものすごく共感でした。

「わたし、もともと大手製薬会社で薬剤師していたの。

お金はあって、大きなデパートで買い物するのに糸目をつけなかったわ。

でも、私のしたい仕事は、これじゃないって思ったの。

毎日多くの人が来る薬局で、お薬を処方して朝から夜まで働いて一日が終わる。

お金よりも、自分がもっと勉強したり、教えたりしたいって思って、今の学校の仕事に移ったのよ。

おかげで、何でも好きなものは買えなくなったし、あなたにもご飯や、なにからなにまでご馳走してあげることはできないわ。でも、前より幸せ」

と話してくれました。

 

私は、同じところに長く勤めるというのは、並大抵のことではないし、

才能が必要な素晴らしいことだと思います。

安定した収入があるのも必要なことだと思います。

でも、もっとやりたいことがはっきりしているのに、我慢するのも、

勤めているところにも自分にも申し訳ないとも思います。 

 

お互いに、一度職場を変えているというのが、私たちの共通点だったのでした。

若いながら、さらに若い学生さんたちに囲まれて生き生きと働く彼女を頼もしいと思いました。

 

プレゼントとお手紙を頂いて

「私たちは5年か10年かしたら、また会うような気がします。

それまで、家族をもって幸せに暮らしましょう」などなど書いていただきました。

 

次の朝早く、スーティツァイ(ミルクティー)を作ってくれる彼女。

なんでそんなに低い位置に電気コンロがあるのかと思ったら、

このように使っているからでした。

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立ってお湯をかき混ぜるのにちょうどよい。

ゲルのストーブ兼かまどと同じくらいの高さなのでした。

なるほど。

このスタイルのおうちは初めて見ました。

 

「ブリヤード族のスーティツァイは、塩を入れない」

と教えてくれましたが、

昨日の肉を削いで、スーティツァイに入れて飲むときは、味付けのために塩を入れていました。

アツアツのツァイ(茶)に肉を入れると、レンジがなくても、温かい肉が食べられるし、

肉のコクがツァイに移ってスープみたいになります。

2倍美味しいんです。

 

朝のお茶を頂いて、歩いてうちまで送ってくれました。

そこからバスで30分近くかかる学校へ出勤していきました。

真っ暗だった空が朝焼けるころ、さよならしました。

また会う日まで。

 

今もときどき、Facebookで近況を聞いてくれます。

早く就職報告がしたいです。

最初で最後の映画館

 

yuki12-99.hatenablog.com

 前回の記事から続きます。

 

講義で紹介された薬剤師さんとは、Facebookでお友達になって繋がりました。

 

その後、日本語を教えてくれというので、会うことになりました。

朝が早かったので、家に来てもらって日本語を教えました。

 

9時に集合して、15時くらいまでぶっ続けでいろんな話をして

モンゴル語にヘトヘトになって、

カレーライスを作って一緒に食べてサヨナラしました。

 

 

彼女は一生懸命に、日本語を学ぼうとし、

チベット仏教か、彼女の哲学なのか、

いろいろな教訓みたいなモンゴル語を教えてくれたりしました。

 

ブリヤード族、というモンゴルの東側や、ロシアとの国境に多い部族である彼女。

モンゴル人に一番多い、ハルハ族とは少し違う言葉、ブリヤッド語を話します。

 

モンゴル語で母は「エージ」ですが、ブリヤッド語では「エゲー」というとか。

 

 

そのあと、半年以上会っていませんでしたが

帰国半年前ころ、彼女と会う2回目には一緒に映画を観に行きました。

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モンゴルで一番豪華な新しい映画館に行きました。
「Gegeeten」という、ザイサンに行く途中にあります。

チケットも10000トゥグルグ(500円)と、モンゴルの映画館では一般よりも高かったです。

 

最近は、IMAX入って15000トゥグルグくらいする映画館もできました。

シャングリラモールの中に入っています。

shangrilacentreub.mn

 

 

このとき、モンゴルの映画を見たのですが、

ストーリーがスルスル入ってきました。

モンゴルの文化がわかるし、男女のストーリーも面白い。

泣けるし笑える。

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"АТГАНД ҮНДСЭН ЭРДЭНЭ"

"GOLDEN TREASURE"

モンゴル語を直訳すると「手にしている根源的な宝物」みたいな意味です。

 

持って生まれた性とか、運命についての話なのです。

いやー、セリフ覚えたぐらい、好きです。

DVD買って帰りたかった。。

ああ、また脱線してしまいました。

彼女の話は、次回。

半年目の講義

帰国周辺は、冷静さを欠いた感じで記事を書きまくってしまったので、

冷静に、振り返り日記的に、記録させていただきます。

 

2016年9月20日月曜日、会うのは3回目ですが、お友達のおうちに泊めていただきました。

このお友達は私立大学の薬学部の先生で、薬剤師です。

彼女の学校で脳卒中後のリハビリテーションについて講義させてもらったときに出会いました。

 

 

 

・・・わたし、この講義のことを記事にしていませんでした。

お友達のことはまた後日書きます。

本日は、出会うきっかけになった講義について。

 

 

2015年4月27日「新医学専門学校」という名前の私立の学校で1コマ講義をしました。

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この活動を紹介してくれたのは、患者さんです。

JICA通訳さんを経験され、前任のJICAボランティアのPT・OTさんが担当され、治療をした脳卒中の後遺症のある方です。

会話や通訳のお仕事は問題ありませんが、左麻痺は中等度で今も後遺症に悩んでいらっしゃいます。

息子さんたちのために精力的にお仕事をなさっています。

 

「わたしが通訳をするので、是非」ということで、日本語のスライド(写真多め)を作りました。内容は脳卒中後のリハビリテーションについて。

経歴は完全に日本語。

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運動紹介のスライドでは、被写体になってもらいました。

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患者さんが、リハビリテーションの必要性を感じて講義をさせてくださるって、すごいなあと思います。

ありがたいです。

たくさんの学生さんが参加してくれました。

将来は、伝統治療のお医者さんになるようです。

もう、卒業していらっしゃると思います。