モンゴルで理学療法士

青年海外協力隊として2014年10月~2016年10月、モンゴルに派遣。その記録です。

現状報告

帰国から19日目。

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「いま、何しているの?」

と、お知り合いやお友達から聞かれます。

 

わたしは前職場を退職してJICAボランティアに参加したので

任期が終わった今は無職です。

 

今日は、リサイクルショップをせっせと周り、家族から集めた不用品を売りに行きました。

売却する段階で、書類に職業を書かないといけないのですが、初めて「無職」の欄を探したりして

そのたびに、ドキッとしております。

 

帰国後の報告活動、というか、

活動紹介だったり、というような活動を日本で新たに始めている同期もちらほら見られています。

 

もちろん、すでに働いている同期もいます。

 

わたしは、職探しをしております。

 

 

この前、JICA市ヶ谷で技術顧問の先生と面談しました。

今後の進路について話したところ、

「臨床に戻るんだね」と言われ、

「ああ、私の進路は臨床に戻るんだな」と認識しました。

 

もう一度書きます。

近い未来、わたしは臨床に戻ります。

そのために、職探しをしています。

 

職探しを含めて、お世話になった方々にあいさつ回りをしたりしています。

 

また、今週末は、これからモンゴルに行く方たちとお話をするために

未来のモンゴル隊員が派遣前訓練中の福島県二本松市に行ってまいります。

 

活動紹介をさせていただくので、資料整理をしております。

 

つまり、今のところは身辺整理で日々が過ぎていきます。

お金は無くなる一方ですので、お金になる仕事を探さなくてはなりません。

バヤンゴル区立病院

ここずっと、患者さんをじっくり治療する、みたいな時間はほぼなくて

あっちへ呼ばれて、こっちへ呼ばれて

あれよあれよとフラフラしているうちに帰国になってしまった、という感じがあります。

 

あるときは、ジムにありそうなトレーニング機器の使い方を教えてくれと、

バヤンゴル区立病院というところに呼ばれました。

 

リハビリテーション科には医師が一人いるだけだというではありませんか。

その医師がわざわざ私たちの配属先に来て、「困っている」と。

 

よくよく聞くと、

もともとトレーニング機器は理学療法士が管理していて治療にも使われていたそうです。

使い方は、たった一人の理学療法士しか知らず、彼女が産休に入ったと同時にしばらくここの部屋は閉鎖されていたそうです。

 

この9月から新人医師が新たに配属されたわけなのですが、彼女は理学療法の知識もトレーニング機器の使い方も習ってきていません。

この度、病院側から「活用しなくてはもったいない」という話になったようで、新人医師の彼女に責任が課せられたそう。

 

その機器の使い方と運用について、すべての責任を負わされた彼女が、JICAボランティアがいるから、という理由で第三病院に来るのも変だなと思いましたが、

「来るもの拒まず」をモットーに活動していたボランティアなので対応します。

 

一緒にタクシーで例の病院へ。バヤンゴル区は、病院もうちも区内なので近いかと思いきや、タクシーで15分ほどかかりました。

この病院は、旧棟と新棟が分かれている上、子ども病院ていうのもさらに別棟らしいです。

 

子ども病院の1階に位置するリハビリテーション室。

入ってみるとびっくり、ものすごい新しくて立派な機器の数々。

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治療台も2台、ティルトテーブルまである。

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第三病院にはない機械がたくさん。

さすが、日本の支援。

 

そして、機器についている説明の絵と日本語を翻訳しながら口頭で使い方を説明しました。

しかし、日本で病院でこれだけの設備があるところに伺ったことがないので

私自身もどのような患者にどのような処方をするのか、わかりません。

 

それぞれの装置が作用する筋と、オープン・クローズという運動様式の違いによる効果の違いなどを説明しました。

 

先天性股関節脱臼の患者さんに座位での股関節内外転運動の機器を使用している、とのことでしたので、

負荷量は随時患者さんの反応を見て、

翌日に痛みや疲労がない範囲にしたらどうか。

ただし、負荷量を上げていかないと筋力増強の効果は得られないので、負荷量はいつも一定でいいということはないので注意するように話しました。

 

彼女は、私の説明をもとにプレゼンの資料を作り、職員対象に使い方セミナーをするそう。

彼女自身、使った経験ないのに、よくがんばっているなあ、と感動。

 

モンゴル語の資料をチェックしてくれと言われましたが、

これに関しては読めないので手伝えなくて申し訳なかったです。

彼女ならどうにかするでしょう。

 

美しくて、頑張るお母さんでもある彼女は、私と同い年でした。

ボルガン県で看護師をしているときに、JICAボランティアと話したことがあるそう。

その後、医師を志し、晴れて今年から医師として勤務しています。

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帰国しました。

なんやかんやと1週間が終わって、ようやく実家で一息ついたので、筆をとります。

 

先週は、掃除が終わらなくて帰れないんじゃないかと言っていましたが、

心強すぎる助っ人のおかげで無事に帰ってきました。

 

先輩理学療法士隊員、彼女はただ旅行で来ていたのに、掃除隊員になってくださいました。。

同配属先の28年度1次隊の作業療法士隊員、わたしのご近所になってしまったがために駆り出されるました。

そして、同じく近所で28年度1次隊のパソコン隊員、

家が遠いのにわざわざ来てくれた28年度1次隊の看護師隊員。

 

みなさま、本当にありがとうございました。

この4人の方がいなかったら、たぶん今もモンゴルです。

 

まず、覚書にスケジュールだけ書いておきます。。

9月30日 午前:JICAモンゴル事務所にて所長とのご挨拶、保健省への表敬訪問

      午後:活動先にて「勤労感謝の日」パーティー

                          (わたしのサヨナラパーティー含む)

     夜:わたしの家で同僚と”ショウ”

                          (カレーを作って食べる。モンゴルウォッカ3本+日本酒900㎖)

10月1日  泊まってくれた作業療法士隊員と、朝来てくださった元理学療法士隊員とひたすら掃除。

      12時~ 理学療法士養成学校(モンゴル医科大学)にて理学療法士卒後研修を聴講。

     18時~ お世話になった通訳してくれたモンゴルの方々含め、お食事会。

     終了後、もと理学療法士隊員が泊まり込みで掃除の手伝い

10月2日 朝から先輩が掃除。わたしは報告書と報告会資料作り

     10時~送別会会場にて出し物の準備

     11時~送別会

     17時 帰宅して掃除。ここで初めて一人で掃除してみて、辛さを痛感。先輩と同職場隊員に畏敬の念・・・

     飲み会に誘われるも、掃除終わらず断念

10月3日 朝 JICAにて面談→大蔵省表敬訪問→日本大使館表敬訪問→健康指導

     夕方 作業療法士隊員、看護師隊員、PC隊員総出で片付け

10月4日 朝 JICAにて帰国報告会→そのまま看護師隊員の掃除へ。

     夕方 また昨日の3名に手伝ってもらって最後の段ボール荷造りと掃除

        大家さんに荷物をJICAの宿泊施設まで運んもらいつつ、

        家の引き渡し

    夜 飲み会→朝まで

10月5日 5時半 JICA宿泊施設を出発

     7:55モンゴル発

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     14時ころ成田到着

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帰国目前なのに

わたしの一番の悪いところは「めんどくさがり」なんです。

 

慣れると、どうしても楽な方に気持ちが動いて、

細やかな仕事を怠ってしまいました。

 

こういう時は、日本でもよくミスをして、ヒヤリハットやインシデントで

医療安全対策室に宛てて報告書を書いて、反省したりしておりました。

(患者の生死にかかわるような大きなものや、治療に影響するようなものではありません)

 

ちなみに、モンゴルでは、あくまで同僚が理学療法を行っている、というのが前提になっているので、

わたしの医療安全上の問題は起こりません。

同僚の安全管理には大いに疑問を持っていて、どうにか介入したかった点ですが、時間切れです。

 

脱線しましたが、事なかれ主義の結果として、いま活動に大きな負の影響があって、

わたしの大事な人工透析のリハビリテーションが、同僚にうまく引き継げないままに活動が終了してしまいました。

 

ここから、どう立ち直るか。。。

 

もう一度プレゼン資料を作るしかない。

 

私が怠ったこととは、

日本で学んだことをプレゼン資料、日本語版は完成させたにもかかわらず

モンゴル語版を作らなかったことです。

「口頭で伝えれば伝わるかな~」と軽く考えてしまったのです。

 

あれが間違いだった。。

 

ちゃんと、あの時さっさと資料を作ればよかった。

 

あと3日で帰国ですが、まだ活動は終わっておりません。気持ちの上では。

JICAに提出する帰国報告書も、

帰国報告会も終わっておりません。

 

ちなみに引っ越しの準備も帰る支度も全く終わっておりません。

 

遊びに来た先輩理学療法士隊員に、超絶掃除、片付けのお手伝をさせる始末です。

申し訳なさと、この上ないありがたさ。。

無事に帰れますように。

ウランバートル隊員送別会

モンゴルから離れるのがさみしくてセンチメンタルです。

 

モンゴルに永住したらどうだろうとか、

できるのかしらとか、ふと考えていますが、答えが出るわけもなく。

 

今日は、ウランバートル隊員みんなで送別会をしてもらいました。

仲良し同い年隊員が、私がぽろっとやりたいと言ったことを覚えててくれて、

素晴らしい行動力で実行に移してくれました!

すてきなプレゼント下さるんですって~わくわく。

 

せっかくJICAボランティアで海外に住んでんのに、日本人とつるんでるのかよ!

て、なる方もいると思うんですが

 

やはり何をやるにも、言葉がスムーズに通じて、意思疎通が図れて

そういう環境て楽だな~~~~て再確認して、

ほかの隊員なくして、わたしのボランティア生活はありえなかったです。

 

いろんな浮き沈みがあって、

日本人と話していると、モンゴル語がまた話せなくなるからいやだなあとか焦った時期もあるし

毎日会いたくて、いろんな隊員との予定が詰めつめになってた時期もありました。

 

今ようやく、程よい距離感な気もするけれど、もっと一緒に遊びたいのに、活動が詰まっていて控えざるを得ません。。

ちょっと寂しい。。

 

ウランバートル隊員でいられて、本当に幸せでした。

ウランバートル物件紹介

「書きたいことが多すぎて、でもどういえばいいのか」

 

ネタありすぎる。

モンゴルいる間にこのブログを書こう、とぼんやり思っていたのですが、

あと10日でまとめられる気がしないです。

 

同僚のうちにお邪魔して以来、3件連続お宅訪問をさせていただきました。

 

先輩隊員の大家さん。

雑談がてら、ご飯ごちそうしていただきに伺ってきました。

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肉うどん。ばかうま。
麺がおいしい!

「手作りですか?」て聞いたら、「コックの手作り」と。

ゲルキャンプを営んでいらっしゃって、従業員雇って経営なさっている日本語堪能なオユンさん。

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オユンさんのボーズ。ばかうま。

去年の旧正月に、オユンさんのキャンプでも、お宅でもたくさんいただきました。

やっぱりおいしいかったです。食べられて幸せ。

 

おうちが日本っぽいのは、日本から息子さんが生活物資を送ってくださるからみたいで、

日本の家かと錯覚しました。

 

さて、ご紹介です。

この素晴らしい大家さんのお隣のマンションの1室が現在空室でございます。

先輩隊員が帰ってしまって、大変寂しいオユンさん。

モンゴルにお住まいをお探しのアナタ。

このようなおうちはいかがですか?

 

広いリビング(壁を張り替えたのは先輩が帰る前、多分今年です)

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冷蔵庫、3口の電気コンロつきキッチン

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ベッドルーム

先輩が帰った後、ベッド新しくして、床も張り替えたそうです~

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ぼかしましたけど、写っているのはアナタの未来の大家さん。

 

風呂トイレ別!これはイチオシポイントです。

トイレ。

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風呂。2層式洗濯機もついています。

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収納もたくさんあって、ご家族で住むにももってこい!

先輩がきれいに使っていたので、とってもきれいです。

今なら、先輩の残した小物付き。

 

場所はチンギスハーン空港から、タクシーで40分、

チンギスハーン広場からバスで30分。

外傷センターから徒歩10分ほど。

デューヘーセンターバス停から、徒歩5分。

3地区にあります。

 

ご興味ある方、オユンさんともどもご連絡お待ちしています。

同僚の手料理

昨日の深夜0時に、モンゴルは23時になりました。

つまり、サマータイムが終わりました。

日本との時差は1時間になりました。

 

朝の薄暗さがつらくて苦しかった最近。

6時に起きようものなら深夜の真っ暗さでした。

これで、少し楽になります。

 

でも、あと10日で日本に帰ると

1時間の時差がまた少しつらいと思うのでしょう。

 

活動が残り1.5日になりました。

でも、やり残したことがいっぱいあるように感じられて、まだ終了できません。

 

今週は、同僚のおうちにお呼ばれしました。

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お料理上手で、どの料理も美味しかったです。ニンニクやスパイスが効いていて今まで食べたモンゴル料理の中で一番おいしかった。

ツォイワン(揚げ蒸しうどん)

ニンジンサラダ

ハイルマグ"Хайлмаг"という、乳製品をいただきました。

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スーティツァイ(ミルクティー)に溶かして飲むとほのかに甘くて美味しいです。

パンに塗っても美味しいとのことで、お土産にいただきました。

 

ウランバートルの飛び地、1時間半くらいかかる、自然豊かなところに実家がある彼女。

病院から30分ほどのところに家を買って、お母さんと息子さんと住んでいます。

去年、新しいおうちに引っ越したと聞いていました。

新しい、すてきなマンションでした。

 

PTの本までいただいて、ホクホクしながら帰ってきました。

「ゆきが使えるなら、持って行って。私はもういらないから」と。

 

わたしは彼女が大好きです。

インドで半年間研修したことがあり、外国人が外国に住むということについて理解のある彼女にどれだけ救われたかわかりません。

イライラしたことも、ものすごく笑わせてもらったこともいい思い出になっています。

最初から母のように、姉のように、寛大に接してくれました。

いつも、「どこまで本当なのかしら」と思うほど、誉め言葉をかけてくれます。

 

病院内でもいろんな人に愛されて、リハビリテーション科になくてはならない人だと思います。

元看護士さんなので、若いスタッフの健康管理も引き受けていて、わたしにとってもですが、カウンセラーのような役割をしているときもあります。

 

理学療法士の学校を卒業していませんが、もっと自信をもって治療ができるような技術と知識があったら、と思うのは私のエゴかしら、という葛藤がありました。

口ではいくつか教えたこともありますが、、もっとたくさん伝えたかったなあと思うこともあります。

心残りのうちの一つ。